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今月の法話 2021/12/02

宗務所

12月の法話「直心是道場(じきしんこれどうじょう)~こころの修行~」

12月の法話「直心是道場(じきしんこれどうじょう)~こころの修行~」
 
師走に入り日が暮れるのも早く寒さも増してきました。散歩をしながら一年の締めくくりの月だなあと思い返すと、コロナ禍から始まり夏のオリンピック開催、眞子様のご婚礼、大谷選手のMVP受賞などたくさんの出来事がありました。曹洞宗では大本山總持寺開創七百年の節目でもありました。
さて夕方から太陽が沈むころ、星が瞬き始めるにはまだ明るい時間帯に金星が見えます。宵の明星といわれています。この明星と仏教には深い関係があります。
多くの仏教寺院では12月8日にお釈迦さまがお悟りを開いたご縁にちなんで成道会(じょうどうえ)という法要が営まれます。
 子どものころにお悟りとはなんだろうと調べたときにこう書いてありました。『お釈迦様は七日七晩坐禅をされて八日目の朝に明けの明星をみて「天地いっぱいの私」をおさとりになった。』
 空をみれば星か雲か、地面をみても草か石ころか。どうして私がそんなに大きくなるのかまったくわからずに、ただ坐禅を大切にするのはお釈迦様が坐禅をしてお悟りになったのでそれを習って修行するんだということでした。
修行僧となり、掃除、坐禅、読経と明け暮れている中で、坐禅会にやってきた小学生の男の子から「どうして修行しているの?」と問われたときに、私はとっさに答えられず困ってしまいました。その時に助け船をだしてくれたのは修行仲間のSさんで、「いつでも素直にありがとうっていえるようにだよ。」と答えてくれました。
お寺を預かるようになり、まだ檀信徒の方とのおつきあいが浅く、どうして良いのか悩んでいる時には、御指導いただいている近隣のお寺様から「心の差を取り除くから悟りっていうんだ」と教わりました。分け隔てがなくなり、ちょうどもやが晴れるような、心のつっかえがとれる瞬間のことだと仰られました。
 
独りと一人とは似ていて全く違います。お釈迦様は「天地いっぱいの私」をお悟りになった後、その教えは沢山の人々に広まりました。
そのこころは日本へと伝わり、大本山總持寺を開かれた瑩山禅師が晩年に書かれたと伝わる教えには永光寺(ようこうじ)所蔵の尽未来際置文というものがあります。そこには※1「瑩山今生の仏法修行此れ檀越の信心に依りて成就す」と書き残され、檀信徒の方を仏様とおもって敬っておつきあいなさい、そうやって初めてあなたの修行が成就するんだよと熱く語られておいでます。
独りではなく同じ世界に生きている一人として、繋がりを大事にして一生懸命に修行に励んでいきなさい。そうすれば仏様が守って下さるんだよとエールをいただいているような気がします。
独りでいるときは寂しいものです。子どもの頃に、もし自分がいなくなったらと想像したことがありました。それでも世界は回っている。ただ、そこにもう私はいない、ということを知ったときに寂しくてぽろぽろと涙が止まらなくなった事があります。おまえはこの世界にはいらないよと宣告されたような気がしたのです。
 ですが、「お釈迦さまの天地いっぱいの私」を思うと繋がりは数え切れないほど沢山のあたたかい糸が私につながっているんだと知ることが出来ました。
 「直心是道場」 ※2直心とは素直なこころで、真実にぴったりと合っているというこころです。それを身につけるのは簡単なことではありません。直心を持ち続けることこそ私を鍛えてくれるこころの道場なんだと思います。
 どうぞ、もし独り寂しいと思われることがあればお寺を訪ねてみてください。きっとご縁に結ばれているみなさんの「天地いっぱいの私」に出会えることでしょう。

参考引用
※1鶴見大学仏教文化研究所客員研究員 尾﨑正善著 『峨山禅師の御業績 檀信徒との関係について』 
※2西村惠信著『禅語に学ぶ 生き方。死に方。』(禅文化研究所)より