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今月の法話 2021/12/31

宗務所

令和4年1月の法話「聞思修の慧をもって」

令和4年1月の法話「聞思修の慧をもって」

新年明けましておめでとうございます。
おかげさまで無事令和4年を迎えられましたこと感謝申し上げます。今年もまたご法話を通して、皆さまとともに仏法を学ばせていただければと思うところでございます。

さて、禅宗には古くから「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉がありまして、直訳では「文字を立てず」となり、すなわち“言葉”や“経典”では「仏法」の神髄は体得できませんよ、という意味合いの言葉です。そういうわけで、我々禅宗の僧は坐禅や作務を修行の柱としております。

では、この法話も無意味ではないか、と感じられた方もいらっしゃるかと思いますが、そういうわけでもなく、お釈迦様にいわく「まさに聞思修(もんししゅ)の慧(え)をもってしかも自ら増益(ぞうやく)すべし」という言葉で、仏法を修めるために必要なものを説かれています。

まず「聞」とは「人の話をよく聞く」ということであり、仏教で言えばお釈迦様やお師匠様の言葉をよく聞くということとなります。固定観念にとらわれず素直な心を養うことの必要性を説いています。

つぎに「思」とは「自分なりで考える」ということです。いただいた有り難いお話もいわゆる他の人の経験に基づいたものであり、自分のものではございません。自分なりにかみくだき、疑問を晴らしながら、納得できる正しさを求めていくことが必要となります。

さいごに「修」とは「実践する」ということです。自分の中で導き出したものを実際に行動し、自分の経験とすることで、はじめて心やすらかな悟りにたどり着けるという教えです。

例え話となりますが、「素晴らしい景色の土地がある」と人から聞いたとして、あなたはその景色を絵や地図に思い描いたとします。しかし、実際にその土地に自ら足を運ばなければ、その素晴らしさを感じ取ることも、人に伝えることも出来ないでしょう。
とはいえ、初めにそういった話を素直に聞き入れなければ、行動に移すことに繋がりませんので、そういった意味で、やはり「聞」「思」「修」の全てをもってこそ、自分自身の心身を調えるための「智慧」を養う(増益する)ことが出来るのです。

わたくしとしましても、コロナ禍により生活様式の変化のため、思うように活動できず、様々なコトを「見聞き考える」ことに留まる時期が続きましたが、皆さま方にとっても今年は何事も「実践出来る」年になりますよう、お祈り申し上げて、新年のご法話とさせていただきます。