2月の法話 「老心(ろうしん)」
皆さんこんにちは。今月は大本山永平寺を開かれた道元禅師がお示しになられた「三心」(三つの心構え)の一つである老心の教えをご紹介したいと思います。
この教えが示されている「典座教訓(てんぞきょうくん)」の中で老心の部分はこう始まっています。
「老心とは父母(ぶも)の心なり。譬(たと)えば父母の一子(いつし)を念(おも)うが若(ごと)し」<老心とは両親が我が子を思うような心である>
つまり老心とは親心のような心であります。では親心とは具体的にはどんな心であると思いますか?
親心と聞くと私はいつも小さい頃に聞いた昔話の「うばすて山」というお話を思い出します。
昔ある山奥に、食べるものがほとんどない貧しい地域がありました。
その為、その地域では食べる人の数を減らしてでも、若い人達を救おうと60歳以上のお年寄りは親であっても山へ捨てなければいけないという厳しいルールを作りました。
ある母親が60歳を迎える年となり、息子は覚悟を決めて母親を背負い山道へと歩き始めます。
その道のりの途中、背中の母親はなぜか道端の木の枝を折っては捨て、折っては捨てを繰り返していました。
山頂に着いて母親を降ろし、青年が「母さんごめんね。つらいだろうけど、村に帰って来てはいけないよ。」と告げると、母親は優しくこう言いました。
「私は村に帰ったりしないから安心しなさい。それよりもあなたが帰り道に迷わないよう、木の枝で道しるべを作っておいたから、それを目印に無事に村まで帰るんだよ。私はあなたが幸せなら、私も幸せだから大丈夫よ。」
その言葉に胸を打たれた息子はルールを破って母親を村に連れて帰ることにしました。(前半部分抜粋)
たとえ自分がどんな状況であっても、常に相手の為に一生懸命になれる心であり、相手に幸せな事が起きれば、まるで自分の事のように喜べる心、これが本来の親心であります。
そして、そういう親心は皆様方の御両親やお爺ちゃん、お婆ちゃん、親しい方々から学び、引き継いでいるものだと思います。道元禅師はそういう心を老心と呼び、いついかなる時も、どんなものに対しても持つべき心だと示されています。
仏事の際には故人様の供養はもちろんのことですが、同時に故人様を思い出し、皆で語り合いながら教わった心をまた次の若い人達に伝えていく機会にして頂けたらと思います。
そして、いついかなる時もすべての人や物、道具や食材に対しても老心を持って互いに接していきたいものであります。
宗務所