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今月の法話 2022/04/01

宗務所

4月の法話 天上天下唯我独尊 ―どこを見渡してみても、我、唯独りの尊いいのち―

天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)
―どこを見渡してみても、我、唯(ただ)独(ひと)りの尊いいのち―

表題の「天上天下唯我独尊」という一句をお聞きになったことがある方は大勢いらっしゃるかと思います。この一句は、今から約2500年前の4月8日にお生まれになったお釈迦様が、7歩歩いて、右手で頭上を、左手で足元を指して発したとされるものです。ふと
見上げれば、私たちの頭上(天上)には空が限りなく拡がっています。また、じっと足元に目を凝らせば、限りなく拡がる大地の上(天下)に自分が生かされていることに気づかされます。全世界、どこを見渡してみても、我という存在は唯独りだけの尊い存在であるというのが、「天上天下唯我独尊」の意味するところです。ここで一点、押さえておきたいのは、この一句は、この世に存在する全てのいのちに当てはまるということです。それは現在(いま)、生かされているいのちだけではありません。過去に生かされていたいのちも、未来に生かされていくいのちも、時間と場所を超えて全てに当てはまります。

 そんな一句が持つ意味の大きさを肌身で感じたことは、僧侶になってから幾度もありましたが、その中の一つをご紹介させていただきます。一年前の春のことでした。ある方の葬儀を務めさせていただきました。お亡くなりになったのは私よりも若い方でした。妻子やご両親を遺し、あまりにも突然の別離(わかれ)でした。

 あれから一年の歳月が流れ、この間、毎月の命日には月参りのご供養が欠かさずに続けられています。あるときは故人様との思い出話に時間を割きました。また、あるときは、子育てをしていく上での父親の存在の大きさが話題になりました。一年が経過して、ご家族は次第に尊いいのちを失った悲しみを少しは受け止められるようにはなってきたように見受けられるものの、それは完全に癒えるものではありません。故人様と同じ役目を果たせる者は誰一人としていないことを念頭に置きつつ、毎月一回のご供養の場が、ご家族の絆を深める機縁であることも忘れずに、これからも関わり続けさせていただきたいと思っております。

 ―「天上天下唯我独尊」―
明日はどうなるかわからぬ露のごときいのちを生かされている私たちは、誰もが「この世に唯独りしかいない尊い存在」です。そのことを今一度、再確認し、お互いに相手の存在を大切に労わり合って、いのちある今を、精一杯前を向いて毎日を過ごしていきたいものです。誰一人として、必要のないいのちというものはありません。連日のように新たな戦禍が報道される中、誰もが平等に生きる権利が尊重されていく毎日の到来を願っています。