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今月の法話 2022/05/02

宗務所

5月の法話 「且坐喫茶(しゃざきっさ)~お茶でもどうぞ~」

5月の法話
「且坐喫茶(しゃざきっさ)~お茶でもどうぞ~」
 
新緑が美しい季節となりました。いよいよ新茶の香り豊かな味わいをいただけるのは嬉しいことです。
茶席の掛け軸などに『喫茶去(きっさこ)』という禅語を見かけます。意味を調べますと禅林句集では「まあ、お茶でもどうぞ」という訳がつけられております。ですがある御老僧から
「これはお茶を勧めるという言葉にはあまりよくないんですよね。さがって茶を飲んでこい!と、わりと強いことばになるんですよ。」
と教えていただいたことがあります。お茶というと接客、展待の基本というほどに親しまれていますが、せっかくの言葉が意味がちがうってなんだかおかしなことだなと思い、「では何と言うべきなんでしょうか?」とおたずねしたところ
「『且坐喫茶(しゃざきっさ)』と言うのが妥当なんでしょう。まあ、お茶でもどうぞ。という意味はこちらの方が近いですね。」
 と教えていただきました。言い方ひとつではありますが、にこやかに「お茶でも飲んでいきなさいよ。」と勧めてもらったらやはり嬉しいものです。
よく「人に淹れてもらったお茶はうまいものだ」といいますが、独りで飲むのでは無く、相手がいてその心遣いがよりお茶を美味しくいただけるんだという気持ちです。
平成19年の能登半島地震、平成23年の東日本大震災の折、仮設住宅で生活されている方々へボランティアでお茶の時間を作り、心の癒やしの時間にすこしでもなればと行茶(ぎょうちゃ)活動が広がりました。いま、起こっているウクライナ紛争では、ライフラインが遮断され、命を脅かす凶器にさらされて震える人々、離ればなれになった家族の様子や破壊された街が次々と報道されています。
いかなる時にあっても人は理由無く不当にその生命や財産を侵害されてはなりません。人間らしさをいとも簡単に否定する行為が伝わってくるほど悲しいことはなく、避難されている方々がせめて一杯のお茶でほっとするひとときがありますよう願うばかりです。